僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

今日も課題が見えたかも

飲酒歴40年、断酒歴7年と8カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。

本日もリスボンの、まだまだ勉強中・ノープランブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

本日と明日、勤め先の大学の大学祭、

僕は学内の片隅に楽器とミニPAシステムを持ち込み、

ストリート・ミュージック・コーナーを設定し、

ラソン・ストリート・ライブに挑戦しています。

 

今日はその一日目、

途中、3回のゲスト・タイムをはさみながら、

正午少し前から、7時過ぎまで、ざっと7時間の連続演奏を行いました。

 

感想その一、お尻が痛いっす。

さすがに数年にわたって、毎日1時間以上のプラクティスを課してきましたので、

指や手首が痛いということはなかったのですが、

いわゆるドラム椅子と呼べれるスツールに座り続けると、

お尻が痛くなりました。

 

4時過ぎからは、演奏中に腰を上げ、中腰状態でピアノを弾く、

まるで演奏没入型の典型的なジャズ・ピアニスト、

キース・ジャレットのような演奏スタイルになりましたが、

キースに憧れてこうなったのではなく、

ホンマにケツが痛くなったからでした。

多分、普段、チャリに乗り付けない人が、

少しばかり長距離のサイクリングに出かけた時のような感じなんでしょうね。

 

感想その二。

僕はどうしても聴衆がいると、その人たちに演奏の到達点をあわせようとしてしまいます。

どんな曲をどんな風なスタイルで演奏したら、一番、楽しんでもらえるやろう、

そんなことを考えながら演奏するのですが、

今日、この僕の一見、お客さん寄りに映る考え方が、

実は一番、聴いてくれる人との間の距離を遠ざけていたことに気がつきました。

 

相手の嗜好に中途半端に迎合しようとしてしまう、

これは一見、お客さん寄りの方法に見えますが、

実際には、プレイヤー自身が全く納得していない、

極めて低レベルな演奏を提供してしまうことにつながる、

不誠実極まりないやり方だったのです。

 

自分が本当に演奏したい曲、歌いたい歌、

そしてそうであるからこそ、一定のレベル以上に練り上げてある曲や歌を、

まずは第一に聴いてもらうべきなのです。

中途半端に相手に阿っても(おもねっても)、良い結果にはつながりません。

 

表現者、アーティストとして生きていこうと思うのであれば、

良くも悪くも、まずは自己チュウに徹するべきでした。

 

照れずに自分の思いを最前線にぶつけること、

中途半端に経験値を高めてきた結果、

表現者としてのこの原点を忘れてました。

 

生き直しのお許しをいただいた青臭い初期高齢者、

若者たちを鼓舞激励するのと同じく、

経験値と同時に勘違い値も高めてしまった己自身にも厳しく当たるべきなのです。

 

明日は恥ずかしがらずに、自分が歌いたい歌、演奏したい曲を、

自らのわがままを前面に出して、歌い、演奏します。

レベル64の手習い、まだまだ到達点は見えません。