僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

命は脆い、だからこそ死んではならない

飲酒歴40年、断酒歴7年と11ヶ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、多分当たり前の再確認?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

能登半島地震、発生からほぼ1週間が経過しました。

避難している人たちのつらい現状とともに、

日時の経過とともに明らかになる犠牲者の増加が報道されています。

 

羽田空港での航空機同士の衝突事故では、

海上保安庁機の乗員、5名が亡くなりました。

 

昨日はこの場で、僕の勤め先の学生の死について報告しました。

 

ガザでは連日のように、戦争の中で多くの人びとが亡くなっています。

恐らくウクライナでも。

 

そしていろいろな理由でマスコミの報道には乗りませんが、

奇跡のマンガ的独裁国家北朝鮮では、

毎日のように理不尽な理由で多くの人民が命を落としています。

餓死、拷問による死、人間であることを放棄せざるを得ない教化施設での生活の中での死。

北朝鮮の成人女性(少女ではありません)

 

僕たちは生きています。

でも僕たちもどのような理由で死に直面することになるかは分かりません。

僕たちの命はとてつもなく、脆い。

 

でも考えてみれば、僕たち人間も、他の生き物の命を簡単に奪って生きています。

他の生き物の命をいただいて生きながらえていると同時に、

殺さなくてもよい場合でも、僕たちは殺生を犯して生きています。

 

生きているものは、死ぬことが定められています。

死に打ち克つ個の生命体は存在しません。

霊長類なぞとえらそうに言っている僕たち人間も、当然ながら例外ではありません。

 

だからこそ生きていることが大事なんですよね、きっと。

きっと当たり前のことです。

 

でも僕たちは、かつて自らの命の価値を軽んじる悪しき習慣に身をやつしていました。

過度の飲酒は、そして習慣化した過度の飲酒は、明らかに命を軽視した愚行です。

多くの命が失われている様ざまな現実を考え、

その愚行の連鎖から生還できたことの意味をこれからも考え続けましょう。

 

過ちを犯してしまった僕たちは、

だからこそ、生き続ける義務が課せられているのです。