僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

三密な午後

飲酒歴40年、断酒歴8年と4カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル65。

本日もリスボンの、三密の呪い?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

 

6月です、6月。

夏です、夏。

でもとっくに夏になっていたのかな、世間では。

 

専業音楽家という無職業人になり、2カ月が経過しました。

今日も専業音楽家としての活動に従事してきました。

今日の活動は、ライブハウスのオープンマイクのホストバンドの一員という役割です。

 

東京ではどうなのか分かりませんが、

少なくとも関西では、

ライブハウスには基本的にはプレイヤーしか集まりません。

純粋なリスナーという客層は、存在しないか、いたとしてもごく少数です。

つまりライブハウスで演奏することを活動の中心にしているミュージシャンは、

業界人の狭いコミュニティーの内部でお金をぐるぐる回しているだけで、

外部社会との経済的なやり取りはできていないのが実情です。

 

オープンマイクというイベントは、

ミュージシャンが出演料を払って演奏時間を確保し、

他の、これまた出演料を払うことで演奏時間を確保したミュージシャン(だけ)の前で、

演奏を披露しあう催しです。

 

純粋なアマチュアにとっては、楽しいイベント足り得ます。

しかし演奏活動によって収入を得ようとしているミュージシャンにとっては、

単なる出演者という役割では、お金が出ていくだけです。

 

そんな中で僕が行っている仕事は、

オープンマイクに参加するアマチュアにとって範となるような演奏を披露し、

場合によってはアマチュアの演奏をサポートすることによって、

主宰者からギャラを支払ってもらうことによって成立しています。

綱渡りといえば綱渡りのような仕事ですが、

楽しみながら続けて行けそうです。

 

今日のオープンマイクですが、

全部で12組のユニットが参加し、

そのうちの2組がホストの役割を果たしました。

僕はそのうちの1組、大トリを勤めたバンドのキーボードを担当しました。

 

12組の参加者、ちゃんと確認はしていませんが、

合計、20数名の大人が、それほど広くはないライブハウスの中で、

押しくらまんじゅう状態でした。

 

今年が2024年、皆さん、2020年のこと、覚えてはりますか。

世界中が、中でも民度の異常に高いらしいこの国においては、過剰なまでに、

人びとがぎゅうぎゅう詰になる状態を忌み嫌って避けていましたよね。

それも三密なぞという不思議な言葉を発明して。

 

この奇妙な言葉の普及にこの方の果たした役割は大きかったようです

 

喉元を過ぎて熱さを忘れたんでしょうね、世間は。

新型コロナウィルス感染症騒ぎが収まったといえば収まったんでしょう。

でもあの4年前のヒステリックな大騒ぎを、僕は忘れてはいません。

僕たちは何を恐れていたのか、

恐れおののいた結果、何を失ったのか、何かは得られたのか。

2030年、コロナ元年から10年が過ぎるであろうころに、

僕たちは何を考えるのでしょう。

 

三密に恐れおののいていた時期からそれほど時間は経っていないはずですが、

貨幣の価値が下がり続けるこの国には、

インバウンドのお客さんの三密も同時に形成されています。