僕のワンノートサンバ

断酒ライフを送る元大学教師にしてジャズ・ピアニスト、ヴォーカリスト

柔らかい日差し

アル症であることを忘れそうですが、忘れてはなりません、
断酒ライフの継続によって症状は現れていませんが肝硬変です、
リスボン、58歳、相変わらず元気な病人です。

本日もリスボンの、無益・ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。

今日も穏やかな休日になりました。
もっとも、昼から学会の打ち合わせで出かけますので、純粋な休日ではありませんが、
しかし休日と勤務日の境界は、僕の生活ではあまり意味はありません。
とりあえず、今は、リビングでほっこりしながら、パソコンを叩いています。

春は日差しが柔らかいですよね。

日差しが柔らかいということは、
日光に射すほどの強烈さはないということと、
それほど風景はクリアには見えていないということの、
二つの意味がありそうです。

柔らかい日差しと書くと、何かのんびりとした良さが醸し出されますが、
しかし風景がクリアに見えないと書いてみると、
空気が澄んでいない、何か淀んでいる、という感覚にもなります。

日本の伝統的な美意識の中には、
あまり明快すぎない、少しばかり謎めいた曖昧さを尊ぶ傾向がありそうですが、
まさに春霞に美を見出す感覚には、そんな曖昧さ愛が潜んでいそうです。

僕たちが酒を飲んでいた時のことを考えると、
飲酒を好む感覚の中には、
このような曖昧さ愛と、
自分に都合のいいことだけを見つめる、クリアーさ愛が同居していたような気がします。

西洋的な線遠近法的な世界観は、隅々まで見通そうとしますが、
東洋的な空気遠近法的な世界観は、フォーカスを自由自在に扱います。

自由自在と書けば、意志の力を感じさせますが、
そのような意志は自分に都合の悪いことには蓋をする意志であると考えれば、
酔っ払いのずるさが見えてきます。

酒は世界を自分に都合よく適度に美化する(曖昧化する)力をもっているのかもしれません。

上海のことを調べている中で、
キャセイ・パシフィックが作成したと思われる動画を見つけましたが、
レポーターの背景の空が北京ほどではないにしても淀んでいることが気になりました。

普段、山の中で暮らしている僕たちは、京都や大阪に行っただけでも空気の違いを感じます。
今朝の春霞を見ながら、飲酒感覚のずるさと、中国本土の大気汚染という、
全く規模の違う事柄について考えてしまいました。

これから昼食代わりのリンゴをもって、京都までドライブします。
この頃、サンふじが安いですよ。

リンゴをかじりつつ皆さんも僕も、今日も明日も、厚かましくも謙虚にかつご機嫌さんで
LWOA Life Without Alcohol 断酒ライフ、継続していきましょう。