飲酒歴40年、断酒歴7年と7カ月、不良初期高齢者、リスボン、レベル64。
本日もリスボンの、ぼちぼちマジ課題?ノープラン・ブログ、ご訪問ありがとうございます。
そもそも、大学教師なぞという、
それも美大の教師という、浮世離れした仕事?についていることもあり、
世の中の皆さんの流れと違ったノリで暮らしている関係もあり、
今日が敬老の日という認識は全くありませんでした。
僕は現在、レベル64、昭和時代であれば、立派な高齢者であったと思いますが、
もちろん、心身の衰えは自覚してはおりますが、
尊敬されるべき老齢には到達していないと思います。
とはいえ、今年で定年、
まだ来年以降の生活設計は立てておりません。
何もせずに隠居するつもりは毛頭ありませんが、
もうぼちぼち、具体的な生活設計について心配しなければいけないでしょうね。
敬老の日、老を敬う日ということでしょうが、
さて、僕がホンマに「老」の境地に至った時、
敬ってもらえる、あるいは大事にしてもらえる高齢者になれるでしょうか。
一昨日の本ブログでも報告してますように、
僕は僕のおやじに対して、極めて冷たい態度で接しております。
いや、より正確には、できる限り接触しなくてもいいようにしています。
実の父親に対してそのような態度をとっている人間が、
自分が老の境地に達した時に、その時の若者たちに大事にしてもらいたいなぞと望むのは、
厚かましいというべきでしょう。
パートナーとともに老後を過ごすことも、考えたくありません。
できれば、いつかは離婚という形で納まりをつけたいところです。
二人のこどもたちも、ホンマの老人となった時の僕の面倒を見てくれることはないでしょう。
ということは、僕は僕の老後の暮らし方や人間関係について、
これから築き上げていかなければならないということになります。
こう見えて人付き合いの苦手な僕にできるかどうか、
でも、本気で考えなければならないでしょうね。
もちろん、悲観しているわけではないですよ、
楽観もしていませんけれど。